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根絶宣言30年 天然痘に学ぶ感染症対策(産経新聞)

 □元WHO対策本部長・蟻田功さんに聞く

 ■効率的戦略 成否の鍵

 世界保健機関(WHO)が「天然痘根絶」を宣言してから、今年で30年になる。人類が感染症に打ち勝った唯一のケースだ。国際プロジェクトを指揮したリーダーの一人が、WHOの世界天然痘根絶対策本部長を務めた蟻田功さん(83)だ。新型インフルエンザやエイズなど今も続く感染症との戦いについて、蟻田さんは「いかに効果的な戦略が立てられるかが、成否の鍵だ」と語る。(伊藤壽一郎)

                   ◇

 1962年、厚生省(当時)からWHOに出向した蟻田さんは、西アフリカのリベリアで天然痘根絶へ向けた調査研究に携わった。

 病院も保健所もない密林地帯で、2、3日のうちに230人もの患者に会った。「患者の数が分からないから、作戦の立てようがない」。致死率が20%にものぼる「悪魔の病」を抑える有効な対策は、ワクチン接種(種痘)による予防だけだ。「天然痘という病気そのものを、地球上からなくしてしまうしかない」

 ≪封じ込め作戦≫

 2年間のリベリア赴任を終えた蟻田さんは厚生省には復帰せず、ジュネーブのWHO本部で、本格的に天然痘根絶計画に取り組んだ。当時の患者数は年間3千万人、死者は600万人以上と推定される。

 WHOは58年に天然痘根絶計画を決議したが、成果ははかばかしくなかった。蟻田さんらが立案した強化対策が新たに決議され、66年に世界天然痘根絶対策本部が設置された。しかし、関係者の間でも「根絶は不可能」という悲観論が強く、WHO本部から加わったメンバーは蟻田さんを含めて4人。年間予算はわずか240万ドルだった。

 能率を上げなければ、道は開けない。蟻田さんは「従来のルールにとらわれず、方針を変えよう」と決断。全住民を対象としていたワクチン接種を、患者を見つけ出して周辺住民に集中的に接種する方法に切り替えた。天然痘は人間だけに感染し、症状はひと目で分かる。患者を目印として、ウイルスを封じ込める作戦だ。

 わずか2年で西・中央アフリカでの根絶に成功した米国チームに習い、WHOも封じ込め作戦を導入。ブラジル、インドネシアなどで効果を挙げ、67年に44カ国だった常時流行国は、73年に11カ国まで減った。

 ≪戦争と官僚主義≫

 「最大の敵は、戦争と官僚主義だった」と、蟻田さんはいう。最大流行国のインドでは、官僚主義に悩まされた。効果が挙がらない全住民接種から、封じ込め作戦への方針転換を、インド側が受け入れなかった。「100%接種をやめて患者が出たら、だれが責任を取るのか」。役人の保身にしかならない前例主義を崩せず、蟻田さんは失望してインドを去った。

 そのインドが73年、一転して封じ込め作戦を受け入れた。前年のWHO総会。インド代表は「アフリカへの国際保健協力に大いに貢献したい」と演説したが、ガーナ代表が「天然痘も根絶できない国に何ができるのか」と応じた。「わが国の保健省は何をやっているのか」。インディラ・ガンジー首相の怒りが“天の声”になった。

 2年後の75年にはインドで最後の患者を確認。「さすがに感慨深かった。もうひと息だと思った」

 ≪最後はソマリア≫

 バングラデシュでは、印パ戦争(70~72年)後にインドから難民が流入し、根絶作戦が振り出しに戻った。仲間がゲリラに拘束されたこともある。根絶チームは、命がけでウイルスを追いつめ、最後に残ったのが東アフリカだった。

 76年9月、エチオピアでの作戦が終わり、WHO本部では根絶宣言の準備を進めていた。「隣国のソマリアで、天然痘らしい患者が見つかった」。一報を聞いて、蟻田さんはすぐに現地に飛んだ。国境の紛争地帯に未知の流行地があるらしい。流行は翌年まで続いた。77年10月に確認したソマリア人の若者が、世界最後の天然痘患者となった。

 80年5月、蟻田さんはWHO総会で73カ国、680人が参加した国際チームを代表して宣言した。

 「天然痘は地球上から根絶され、再び人類の病気として帰ってくることはない」

                   ◇

 ■人類の貴重な経験生かせ

 郷里の熊本市で暮らす蟻田さんは、地球規模で流行中の新型インフルエンザについて、「日本は天然痘根絶から得られた教訓をもっと生かせるのではないか」と感じている。

 たとえば、ワクチン量産が間に合わず、大半を輸入に依存しているにもかかわらず、当初は子供40~50人分に当たる10ミリリットルのアンプルで供給され、小規模な診療所では、かなりの量が無駄になった。

 「天然痘ワクチン接種で無駄をなくす基本は1アンプルの容量を少なくすることだった。世界では常識なのだが…」

 感染症対策では、能率的な戦略を立て、徹底的に実行することが大切だ。不可能といわれた天然痘根絶計画を成功に導いたのは、正義感が強く、頑固で妥協しない「肥後もっこす」の気質だった。

 天然痘根絶チームは、政治、宗教、差別などあらゆる障害を乗り越えて、「人類は協力し合える」ことを示した。感染症対策、地球温暖化問題などの人類共通の課題に、私たちはどう取り組んでいくのか。蟻田さんは「もう一度、人類の貴重な経験から学んでほしい」と話している。

                   ◇

【プロフィル】蟻田功

 ありた・いさお 1926(大正15)年5月、熊本市生まれ。50年熊本大医学部卒業、厚生省公衆衛生局厚生技官。62年世界保健機関(WHO)アフリカ事務局へ出向。64年同ジュネーブ本部。66年世界天然痘根絶対策本部に参加。77年に同本部長。85年に帰国し、国立熊本病院院長、国際保健医療交流センター理事長などを歴任。主な受賞歴は朝日賞(81年)、日本国際賞、熊本県民栄誉賞(88年)、オズワルド・クルズ賞(95年)。

                   ◇

【用語解説】天然痘

 ウイルスを病原体とする感染症の一つ。人間だけが感染・発病し、飛沫(ひまつ)や接触による感染力は非常に強い。全身に豆粒状の膿疱(のうほう)ができ高熱が続く。毒性の強いタイプと弱いタイプのウイルスがあり、強毒性の致死率は20%以上とされる。約3000年前のエジプトのミイラから、感染の痕跡が確認されている。日本には6世紀ごろ、朝鮮半島経由で入ってきたとみられ、伊達政宗や春日局も罹患(りかん)したといわれる。

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